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横浜地方裁判所川崎支部 平成6年(ワ)707号 判決 1998年3月20日

原告

甲野太郎

原告

丙川二郎

原告

丁山月子

右原告ら訴訟代理人弁護士

岡垣宏和

原勝己

被告

乙田花子こと乙本花子

右訴訟代理人弁護士

伊藤幹朗

芳野直子

杉本朗

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告らの負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告ら各自に対し、金一〇〇万円及びこれに対する平成六年一〇月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は神奈川県立外語短期大学の教員である原告らが、同じく教員であった被告に対し、同大学の教授会における被告の発言により(原告甲野太郎及び同丁山月子関係)、また、被告の神奈川県教育長宛書簡の記載内容により(原告甲野太郎及び同丙川二郎関係)、名誉を毀損されたとして、民法七〇九条、七一〇条に基き、損害賠償を求めた事案である。

一  (争いのない事実)

1  原告甲野太郎(以下、「原告甲野」という。)は、神奈川県立外語短期大学(以下、単に「大学」という。)の教授であり、原告丙川二郎(以下、「原告丙川」という。)は同大学の名誉教授(平成六年三月まで教授)であり、原告丁山月子(以下、「原告丁山」という。)は同大学の助教授であり、被告は同大学の専任講師である。

なお、被告は、平成七年七月四日、神奈川県教育委員会から分限免職処分を受けたが、同処分を不服として神奈川県人事委員会に不服申立てを行い、また、右処分の取消訴訟が係属中である。

2  平成五年六月一六日及び平成六年一月二六日のいずれの日にも定例の大学教授会が開かれ、原告ら及び被告も出席していた。

3  被告は、平成五年四月九日付で木下正雄神奈川県教育長(以下、「木下教育長」という。)宛に書簡(以下、「本件書簡」という。)を出した。右書簡には、原告甲野のいわゆるセクシャルハラスメントについての事実記載がある。

二  (争点)

1  原告甲野関係

(一) 本件書簡において、原告甲野の名誉を毀損する事実が摘示されているか。右事実は真実か。被告に名誉毀損について故意、過失があるか。

(原告甲野の主張)

本件書簡には、「甲野教授は平成三年四月の職員歓送迎会で女子職員二人の乳房を掴んだ。見かねた乙田(被告)が注意すると、『こうすると女は喜ん(ママ)だ』などと暴言を吐いた。乙田(被告)に対しても『キッスさせろ』と強要した。また、その場にいた女子教員が『研究室で女子学生の腿をなでているのを見たよ』と言ったのに対しても苦笑しただけであった。甲野教授にとってセクハラが常態になっていることの例であろう。調査して欲しい」との記載がある。右記載事実は事実無根の事柄で原告甲野の名誉を毀損するものであり、被告は、右が真実でないことを知りながら、故意または、過失により、本件書簡に記載したものである。

(被告の主張)

本件書簡中に、被告が受けたセクハラの記載事実があることは認める。ただし、「調査して欲しい」との文言は否認する。被告が受けたセクハラは事実である。また、本件書簡は木下教育長に宛てた私信であり、被告に原告甲野の名誉を毀損する意思はない。

(二) 大学の教授会において、被告に原告甲野の名誉を毀損する発言があったか。

(原告甲野の主張)

被告は、平成六年一月二六日の教授会において、原告甲野が被告にキッスを強要したとの発言を繰返した。

(被告の主張)

右教授会で、被告が原告甲野主張の発言をしたことは否認する。

2  原告丙川関係

本件書簡中に原告丙川の名誉を毀損する事実が記載されているか。

(原告丙川の主張)

被告は、本件書簡中に、「原告丙川は事務局を通じて公用タクシー券を濫用し、同僚教員の無届台湾旅行に同行し、その同僚の無届旅行事実を隠すため、あたかも自分一人で出かけたかのように大学の図書館報に書いており、また、被告の在外研究(平成四年四月から平成五年三月まで)の実施を妨害した。」旨記載し、調査の上、原告丙川を処分するよう求めた。

(被告の主張)

被告が本件書簡中で、タクシー券の不正使用問題で自ら発言した旨の事実を記載したことは認め、その余は否認する。本件書簡は木下教育長に宛てた私信であり、被告に原告丙川の名誉を毀損する意思はない。

3  原告丁山関係

大学の教授会において、被告に原告丁山の名誉を毀損する発言があったか。

(原告丁山の主張)

被告は、平成五年六月一六日の大学定例教授会で、原告丁山が文部省在外研究員としてハワイ大学に派遣されることに決定されたことに関連し、「投書されたような公務員法違反を犯した人間を派遣するのは八〇〇万県民の血税を浪費するものだ。」と発言し、原告丁山を公然と非難した。なお、右の投書とは、平成四年七月に、神奈川県監査委員会宛になされた匿名の投書で、同書には、原告丁山が訴外ディナ・マロニーの脱税を幇助したとの記載があり、右教授会の出席者は全て右投書の事実を知っていた。

(被告の主張)

被告が、右教授会で原告丁山主張の発言をしたことは否認する。

第三争点に対する判断

一  本件書簡による名誉毀損(被(ママ)告甲野関係の(一)及び原告丙川関係)について

1  まず、被告が原告甲野及び原告丙川に関する記載のある本件書簡を木下教育長宛送付したことは争いのないところ、原告らは、本件書簡は当裁判所の送付嘱託により神奈川県教育庁管理部総務室長から写しをもって送付されたもの(<証拠略>)であると主張し、他方、被告は本件書簡の控えであるとして(証拠略)を提出し、右送付嘱託にかかるものとは一部内容が異なると主張する。しかしながら、文書送付嘱託に対する回答の趣旨や右(証拠略)は一部の抜粋に過ぎないこと、被告本人は教育庁による改竄の虞があると供述するが、これを認めるに足る的確な証拠はないことを考慮すると、右(証拠略)が被告が木下教育長宛送付した本件書簡であると認めるのが相当である。

2  被告が本件書簡を木下教育長宛送付した経緯と木下教育長の処置について、関係証拠(<証拠略>、被告本人)によれば以下の事実が認められる。

(一) 被告は、平成四年四月から翌年三月にかけてドイツに在外研究に従事した。ところが、右在外研究についての「職務専念義務免除願い」を前学長宛て提出していたところ、右書類が他の大学関係者の手に渡るなどのことがあり、被告は右の調査依頼をなし、前学長から、右関係者の書類取扱は不適切であり、厳重注意したとの報告があった。ところが、被告がドイツ滞在中大学内に原告甲野及び原告丙川らをメンバーとする投書等対策委員会が組織され、同委員会により右大学関係者の行動は事実でない旨確認されたとの報告がなされた。被告は帰朝後これを知り、直ちに前学長に問い合わせたところ従前と同じ回答であった。被告は、右投書対(ママ)策委員会に不信を抱き、知人の元近代文学館長訴外清水節男に相談したところ、同人の知人である木下教育長に相談するようアドバイスを受け、木下教育長の自宅宛本件書簡を送付した。

(二) 木下教育長は、本件書簡を精読した後、その内容が大学における学内のいろいろな問題について記述されていることが判ったので、これを職場に持参し、教育庁総務室の担当者に一括して引き渡し、記載されている内容についての事情を把握するよう指示した。

(三) 右事実によれば、本件書簡は被告の木下教育長宛の個人的書簡と解される。確かに、木下教育長は大学教員の任命権者であり、公的立場にあることからすれば、如何に個人的書簡であろうとその内容が事実無根であり対象者を誹謗するものであるときは名誉毀損となることは当然である。しかしながら、右書簡が本来は公然のものではないことを考慮すると、雑誌や新聞等に掲載される場合と異なり、右書簡記載の事実が真実であるかと同時に右事実が単に噂として記載されているものに過ぎないか、事実として記載されていれば、書簡受領者の側で右記載が真実であると疑うに足る理由があるかとの点も考慮しなければならない。けだし、右書簡を公開するかどうかは右受領者の判断に関わっている事柄だからである。

3(一)  本件書簡は、(証拠略)によれば、「木下教育長殿」と題する標題の二枚にわたる本文のほか、「神奈川県立外語短期大学における「開学派」による大学私物化、及び人権侵害、女性差別一覧表」と題する別紙一八枚にわたるものである。

(二)  右本文には、自己紹介の後、男女平等が民主主義の中心課題と述べられているほか、大略、「外語短大では男女平等を推進する県の方針とは全く反する女性蔑視、人権無視の無法がまかりとおっている。(被告)の在外研究にも、無法な妨害工作があり、個人のプライバシーに関わる重要書類の持ち出し、及び女性蔑視の暴力団まがいの脅しが加えられた。このような無法は、これまでにいた他の女性教員に対しても加えられていた無法と同様に、ある一派にとって邪魔な教員に対して加えられた系統的で執拗な攻撃である。これらの無法の背景には、丙川二郎教授と甲野太郎教授という二人の教授を中心とする「開学派」と呼ばれている派閥が学内を牛耳り、外語短大を私物化している実態がある。(被告)の不在中にも「開学派」による執拗で陰湿な女性蔑視、人権無視の攻撃が続いている。投書等対策委員会の不正に対し、県として厳正な処分をお願いする。」との記載がある。

(三)  原告甲野関係については、以下の記載がある。

甲野教授が女性蔑視の考えの持ち主であることは、繰返されるセクハラによって明らかだ。一例をあげると、平成三年四月の職員歓送迎会の場で、甲野教授は女子職員二人の乳房をむんずと掴んだ。見かねた乙田講師が注意すると、「こうすると女は喜ぶんだ。時々こうしないと女を忘れる。」と暴言を吐いた。さらに「告訴されますよ」と注意すると、「こちらからしてやる」と意味不明の暴言を続けた。乙田講師に対しても「キスさせろ」と強要した。その場にいた他の女子教員が「研究室で女子学生の太ももをなでているのを見ましたよ」と言ったのに対しても、ただ苦笑しただけだった。甲野教授にとってセクハラが常態になっていることの例であろう。

(四)  原告丙川関係については、以下の記載がある。

(1) 被告の在外研究妨害関係

初め、丙川教授は表面乙田講師の在外研究に賛成している様子を見せていた。しかし、乙田講師が、教授会で「開学派」の主張に是々非々の態度をとるようになるにつれ、「開学派」にとって乙田講師は邪魔な人物に変わってきた。一〇月に乙田講師は、他の教授に関わる噂と思い「学内にタクシー券不正使用の噂がある」と話したが、丙川教授は声を変え、「誰に聞いたの」と驚いていた。実は、後述するように、この黒い噂は丙川教授にまつわるものであった。丙川教授は、県と大学との「パイプ役」を自称していたが、その実体はずっと県と大学との間の歪んだ「パイプ役」を果たしてきた。この場合も乙田講師に対しては、「県が在外研究を認めるはずがない」という予断を与え、県に対しては在外研究を認めないような働きをし、歪んだ「パイプ役」の勤めを果たした。

(2) タクシー券不正使用関係(当事者以外は仮名とする)

H教授が学長時代、「自分は学長なのに、タクシーも自由に使えない。丙川先生は、勝手に使えるので羨ましい。」とこぼしたことから、このうわさが広まった。丙川二郎教授のタクシー券の不正使用問題については、平成四年三月七日の教授会で、丙川教授が「自分についてタクシー券の不正使用の投書があったが、事実無根だ。R前事務局長とS管理課長に確かめて貰いたい」と弁明したことで、かえって話題となった。R前事務局長は、丙川教授の県職員時代の部下であり、S前管理課長は丙川教授が水産大学からわざわざ引抜いた人物であり、ふたりとも丙川教授の「子飼い」の部下である。このような事務局体制のもとに、黒いうわさが生じたのも偶然ではあるまい。

(3) 台湾旅行関係(当事者以外は仮名とする)

平成三年の一月に、丙川教授は法学という法律を教える教員にもかかわらず、Ⅰ教授と一緒に台湾観光旅行に出かけている。にもかかわらず、それを隠し、あたかも一人で出かけたように外語短期大学の図書館報である「こぎと」六二号に書いている。

4  以上の事実を基に、名誉毀損の成否について検討する。

(一) 原告甲野のセクハラの記載(右3の(三))について

まず、本件書簡の本文から見ると、被告は右セクハラについて直接木下教育長に対し調査や処分は求めていない。しかし、右記載内容から見れば、個人的書簡であろうと、直接調査、処分を求めていないものであろうと、任命権者に宛てて、原告甲野の行動をセクハラとして記載したものであり、これが事実でないとすれば、被告の意図はともかく名誉毀損と言われてもやむを得ないものである。

右セクハラ事実の有無につき、被告本人はこれに沿う旨の供述をし、他方原告甲野本人はこれを真っ向から否定している。そして、原告甲野は、原告代理人名で大学の元及び現女性職員宛に被告本人調書を添付して右セクハラ事実があったか否かについてのアンケートを送付し、右事実がなかった旨の回答書を書証として提出している(<証拠略>)。しかしながら、男性が職場内の懇親会等飲酒の場で女性に対し、性的な言葉をかけたり、身体に触ろうとする等のいわゆるセクハラ行為はまま見られるところであり、女性において右職場関係内のセクハラ行為の場合、特に相手が上司である場合は被害者であっても泣き寝入りすることも珍しくなく、単に目撃しただけであれば関わり合いになるのも避けようとする思いは当然であって、その意味からすれば、右(証拠略)は総じてにわかに採用できない。そして、右観点からすれば、(証拠略)の記載の方が採用できる。したがって、原告甲野に右セクハラ事実が真にあったかはともかくそのように疑わせる行為はあったと推認できる。

そうだとすると、前示本件書簡の性質に鑑み、教育庁において、ある程度の疑いを持ち、その事実を確認するため、原告甲野から事情聴取したとしても、原告甲野の名誉を毀損するものとは言えないのであり、結局、本件書簡が原告甲野の名誉を毀損すると認めるには足りないというほかない。

(二) 原告丙川に関する記載(右3の(四))について

(1) 被告の在外研究妨害の記載については、その記載から見れば、事実の記載と言うよりは、被告の主観的意見に過ぎないと思われ、教育庁がこれをそのまま信じるものとは認め難い。したがって、原告丙川において、これにつき事情聴取を教育庁から受けたとしても、自身の意見を開陳すれば足りるものであり、右記載のみをもって、原告丙川の名誉が毀損されたものとまでは未だ認め難い。

(2) タクシー券不正使用の記載については、そのような噂があったと摘示するに止まるものである。そして、右不正使用の事実があったかどうかは別として投書によりそのような噂が流れたことは原告丙川も自認しているところであり(<証拠略>)、そうだとすると、確かに「黒いうわさ」との表現は些か穏当を欠くものの右記載自体だけでは、原告丙川の名誉を毀損するものとは未だ認め難い。

(3) 台湾の無断旅行の記載については、原告丙川も(証拠略)で述べるように、原告丙川自身が無届で台湾旅行をしたとの記載であれば、事実に反し名誉毀損になる場合もあると言えるが、前示の記載に止まるものであれば、教育庁もさほど関心を持たぬものと推認され、これをもって直ちに名誉毀損とは認め難い。

二  教授会における発言による名誉毀損(原告甲野関係の(二)及び原告丁山関係)について

1  原告甲野関係

原告甲野は、平成六年一月二六日の大学の教授会で、被告が「原告甲野が被告にキッスを強要した」旨の発言をしたと主張する。しかしながら、原告甲野は本人尋問で、右発言は平成六年一月一九日であったと明確に供述しているところ、(証拠略)によれば、右一月一九日には被告にそのような発言はなかったものと認められる。ところで、前示分限免職にたいする不服審査の中で、神奈川県教育庁は当初右教授会は平成六年一月一九日と主張し(<証拠略>)、原告甲野の右供述はそれに沿ったものと考えられるところ、神奈川県教育委員会は、本件訴訟に合わせてか、平成八年八月二五日、右教授会の日を平成六年一月二六日と訂正した(<証拠略>)。被告の右発言があったとされる教授会の日時は本件の主要な争点であり、最も重要な事実であることからすれば、単なる記憶違いとして看過されるべきものではなく、原告甲野本人の供述の信用性を疑わせるものである。原告甲野は、本件訴訟の弁論終結時において、右教授会が平成六年一月二六日であったとする大学関係者の陳述書を提出するが(<証拠略>)、いずれも右経緯から見て辻褄合わせのものとしか言えず、採用できない。してみると、原告甲野主張の日に原告甲野主張の被告の発言があったとは認めるに足りないと言うべきである。

2  原告丁山関係

(一) 原告丁山は、被告は、平成五年六月一六日の大学定例教授会で、原告丁山を指して、「投書されたような公務員法違反を犯した人間を派遣するのは八〇〇万県民の血税を浪費するものだ。」と発言したと主張し、原告丁山本人はその旨供述し、(証拠略)において、右教授会に出席していた大学関係者が各右被告の発言を陳述している。

(二) しかし、右各陳述書を仔細に検討すると、右被告の発言において「八〇〇万県民の血税うんぬん」ということまではほぼ一致するものの、「刑事被告人」とか「外国人の脱税を幇助する」とか「地方公務員法に違反する」とかの発言があったかについては食い違いがある。さらに、(証拠略)によれば、被告の発言は「丁山先生の場合には、この後の議題にかかわりますけれども、再調査委員会の中で、丁山先生はなんか投書で名前が挙がったというふうに私はお聞きしております。で、その問題は、神奈川県の県民税にかかる大きなお金の問題でお名前が挙がられたというふうにお聞きしております。そうなりますと、神奈川県の公務員としての責任、八〇〇万県民に対する責任、しかも、お金にからんでいる問題、そういう問題を処理しない前に行かれるということは一つ問題ではないかというふうに思います。」とされており(右<証拠略>は右教授会のやりとりを録音したテープの反訳書であり、原告丁山は右テープは編集された疑いがあると主張するがこれを認めるに足る証拠はない。)、他の男性の発言として「公務員法違反」との発言もあり、教授会の議事自体かなり混乱状態にあることが窺える。

右の事情からすると、前示(一)の供述や陳述書の記載だけでは、原告丁山主張の被告の発言が教授会においてなされたと認めるに足りないと言わざるを得ない。

第四結論

以上の次第で、原告らの請求はいずれも理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法六一条、六五条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 福島節男)

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